趣味の書道・京都・写真をつれづれなるままに
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2014年01月19日 (日) | 編集 |
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東山区の南禅寺境内を、レンガ造りの建造物・水路閣が走っている。
琵琶湖から京都に水を引き入れる琵琶湖疎水の一部だ。

琵琶湖と京都を結ぶこの運河は、
5年の歳月をかけて1890年(明治23年)に完成した。

なぜ、琵琶湖疎水は造られたのか?
明治維新で政治・経済・文化の中心は東京に移り、京都の産業は衰退し続けていた。
その復興策として当時の京都知事、北垣国道が計画したのだ。

この事業規模は金の面から見ると驚く!
当時の「国の土木総予算」が100万円。それより(国より)多い125万円だ!
京都の事業というより「国家プロジェクトだった」と言ってもいいだろう。

その工事全体の責任技師に、北垣知事は、世間の度肝を抜く人事を敢行する。
田辺朔郎(たなべさくろう)という技師の抜擢だ。
当時、田辺は何歳だったか? なんと23歳だ!!(信じられん!)

京都、いや国家を左右する1大プロジェクトに、
東京大学工学部を卒業したばかりの、23歳の青二才を起用したのだ!
ない!今の時代、絶対にない!

ウルトラ人事だったが、田辺朔郎は超優秀だった。(当たり前か。)
東大工学部校長の大鳥圭介が太鼓判を押して北垣知事に推薦し、
北垣も田辺の人間性と見事な卒論に惚れ込んだらしい。

かくして、田辺朔郎は苦難の末27歳でこの大事業を完成させた。

京都を一望できる蹴上広場にコート姿の田辺朔郎の銅像が立っている。
これが、イケメンなのだ!
肖像写真をネットで検索してもらえばわかる!

さて、ココからは私の願望だ。
田辺朔郎のエピソード、大河ドラマにならないかなぁ…。
NHKさん、お願いします。
あ、脚本は三谷幸喜で。
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