趣味の書道・京都・写真をつれづれなるままに
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2014年09月14日 (日) | 編集 |
昨日の土曜日(9月13日)、嬉しいことがあった。

「まあ、みなさん聞いてください」(漫才の人生幸朗師匠のモノマネで。二回目)

言っておくが、ブログでモノマネするのは、
世界で私だけだ。

しかも、大して似てない。「意味ね~っ」(関根勉のモノマネで。)

暖まったところで、本題だ。

昨日、春から取り組んでいた臨書が終わった。
今年の3月ごろ書道の先生から、中国の褚遂良(ちょすいりょう)が書いた
「枯樹賦」(こじゅのふ)の臨書を言い渡され取り組んでいた。

少しずつ書いては先生に見せ、指導を仰ぐ事を繰り返すことおよそ半年。
毎回、厳しいダメ出しをもらって落ち込んだ。

「線の息が短い。もっと長く」「手本を見ていない。よく見ろ」
「君は浮気性だ。一つの作品と長くつきあって臨書しろ」
「ためが足らない。もっとためろ」

と、いろいろ言われた。全てごもっとも。でも、何度書いても相手は手強い。
途中、創作のため空いた期間はあるが、4カ月ほど「枯樹賦」と向き合わされた。

そしてようやく、昨日、
「まあ、いいだろう。次の段階に進んでよし。新しい臨書作品を選びなさい」と言われた。

正直嬉しかった。

下の写真は先生に提出した「枯樹賦」だ。何百枚かあるだろう。
(これは提出したもので、失敗したののがもっとある。)

IMG_1404.jpg


下は臨書を始めたころの写真。線が軽い感じがする。

IMG_1412.jpg


終了段階。線に重みが出たか。
ここまで来るのに何カ月もかかった。それでも下手だ。
(先生のお目こぼしで先に進めたのかもしれん。)

IMG_1411.jpg

嬉しい事と同時に悲しい事もあった。(喜んだり悲しんだり忙しい。)
私は、少し前からネットの書道サロンに作品を投稿している。
毎日お題を頂戴し、翌朝、作品をフェイスブック上で見せ合う。
そこで書きためた作品を先生に見せてみた。

私としては自信作もいくつかあったのだが。
全て一笑に付された。

木っ端みじん、ナノレベルまで分解された気分だ。
何の評価も労をねがらう言葉もなし。

「変化がない」「全てに頑張り過ぎ」「印の位置が悪い」
「遊びがない」「線の太さが同じ」「つまり過ぎ」「構成が悪い」
「余白がない」「切れている」などなど。

酷評された。
「どないしたらよろしおますの?」で、昨夜は飲んだ。
祝い酒かヤケ酒か分からん酒だった。

11月に小さな小さな個展を予定している私への、叱咤激励であろう。
それでも、私は先生に破門覚悟でひとこと言いたい。




「先生、私は褒められて伸びるタイプです」



いちおう、すっきり。(これで?)


書道をたしなむ理由は人によってさまざまだろう。
私の場合は、書道が上手くなりたいからだ。「書家」になりたいとは、思わない。
むしろ私が憧れるのは、いろいろな文字を書きこなす「筆文字職人」である。
古典を学んだ上で「筆文字」を書きたい。前衛書もやりたい。
段位はいらない。書作家協会に入る気もない。

ただ、この道の先に何があるか、それが見たいだけだ。

書道は一握りの「書道エリート」だけのものであってはならない。
それでは書道は衰退する。

書道を愛する人全てに、書道の神様は微笑むと私は思っている。
書道には人それぞれの楽しみ方がある。それでいい。
レベルは問わず、楽しければいいのである。


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